大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成6年(オ)7号 判決

上告人

田邉繁

右訴訟代理人弁護士

村田由夫

竹本昌弘

被上告人

有限会社芦屋寶盛館

右代表者代表取締役

抜井茂夫

被上告人

抜井茂夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人村田由夫、同竹本昌弘の上告理由について

原審が確定したところによれば、昭和五四年一二月三〇日における被上告人有限会社芦屋寶盛館の社員は、田邊謙二、上告人及び被上告人抜井茂夫の三名で、各一〇〇口の出資口数に応じた持分を有していたところ、謙二は、同日、その持分の一部を抜井友子、抜井正博、抜井悦子及び抜井康樹に対して贈与したが、右贈与につき、被上告会社の社員総会の承認はなかったものの、右社員全員が右贈与を承認していたというのである。原審の右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない(なお、原判決一六枚目裏一行目に「昭和五五年」とあるのは、「昭和五四年」の誤記と認める。)。

有限会社法一九条二項が、社員がその持分を社員でない者に譲渡しようとする場合に社員総会の承認を要するものと規定している趣旨は、専ら会社にとって好ましくない者が社員となることを防止し、もって譲渡人以外の社員の利益を保護するところにあると解されるから、有限会社の社員がその持分を社員でない者に対して譲渡した場合において、右譲渡人以外の社員全員がこれを承認していたときは、右譲渡は、社員総会の承認がなくても、譲渡当事者以外の者に対する関係においても有効と解するのが相当である。

そうすると、前記事実関係の下において、右贈与を有効とした原審の判断は、正当として是認することができ、右判断の違法をいう所論は理由がない。

その余の所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

以上によれば、論旨は、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友)

上告代理人村田由夫、同竹本昌弘の上告理由

一、被上告人会社の出資持分の実質的帰属者が亡田邉謙二であったと判断している原判決の認定には、理由不備、理由齟齬の違法がある。

(1) 原判決は「訴外会社(代表者謙二)は、御影所在の本店のほか、芦屋市大桝町二一番所在の借家において芦屋支店を有し、書籍販売業を営む、実質上謙二のオーナー会社であり、(中略)同年(昭和二一年)五月二五日、訴外会社より、在庫商品一万九六〇五円、什器備品一四八六円七九銭のほか、売掛債権、借家権等一切を含む芦屋支店の営業を代金一万五七三八円七一銭で譲受け、訴外会社において、同月の株主総会で芦屋支店の廃止を決議し、第一審原告は「芦屋寶盛館」の商号で個人での営業を開始した」(原判決一二丁〜一三丁)と訴外会社が上告人に訴外会社芦屋支店の営業譲渡(但し、売掛債権は譲渡対象外)をなした事を認めながら、「当時芦屋支店の損益の状況は二四六三円四六銭の損失であったものの、右譲渡代金は支店の本店に対する債務一万八二〇二円三七銭から、右損金を差引いた額にほぼ見合う額であり、在庫商品一万九六〇五円にも満たない低額のものであって、右営業譲渡は殆ど無償に等しいものであったということができる」(原判決一三丁表)とし、「芦屋寶盛館の経営の独立も第一審原告の責任感を高めるためのものであり、実質的にはその経営は謙二の信用に依存し、同人が依然そのオーナーであった。」(同)と判断している。

上告人が芦屋支店の営業譲渡を受けたのは、昭和二一年五月であり、在庫商品は昭和二一年三月三日以前に購入されていたもので、いわゆる「戦争本」といわれる戦争や国策遂行関係書であり、終戦後は、全く価値がなくなり販売も返品もできないものであった。

小売書店が抱えている「戦争本」については、販売も返品もできないため全部損失になることから、日本出版物小売業組合全国連合会は、その引取り、または、その犠牲に対する償いを昭和二一年五月に日本出版配給統制株式会社(以下日配という)に強く申し入れ、その結果日配は昭和二〇年九月期より昭和二一年四月期に至るまでの小売持越品について、ほぼ定価の半額で引取ることになったのである。(甲第二六号証二五頁)

上告人が営業譲渡を受けた在庫商品は、このように全く価値のないものであったのであり、原審は、このことを知らずに譲渡代金は在庫商品の価格にも満たない低額なものであり、殆ど無償に等しいものであるという誤った判断をなしている。

昭和二一年当時は、米一〇キロの小売価格は六円六五銭であり(農林水産省食糧庁企画課で調査・確認)、一万五七三八円という譲渡代金は、米二三、六六〇キロ(三九四俵)に該当するものであり、原審のように低額で殆ど無償に等しいなどととうてい評価できるものではない。

(2) 原判決は、このような誤った認識のもとに、営業譲渡が殆ど無償に近いものであったとして、営業譲渡が行なわれていることを認めているにもかかわらず、謙二が依然そのオーナーであったと誤った判断をなしている。

右判断は、理由不備、理由齟齬の違法があるといわざるを得ない。

すなわち、原判決は無償に近い営業譲渡だから謙二が依然オーナーであるとしているがこのような理由は法理論として全く誤りである。例えば、「贈与契約」を例にとってみると贈与は、無償の譲渡だが、所有権が贈与者に残るということは明らかに誤った見解であろう。すなわち、営業譲渡は、それが有償にせよ、無償にせよ譲渡があった以上所有権は移転するのである。原判決も判示しているように本件で営業譲渡があったことは証拠上否定しえない事実であり、営業譲渡を認めながらオーナーがかわらないとする論旨は、全くの矛盾であり、理由齟齬といわねばならない。

(3) 上告人が、営業譲渡を受けた後、上告人は、浜田昇蔵と、「芦屋寶盛館」(個人営業)を共同で経営をする為、民法上の組合契約を為した。

浜田昇蔵は、自らの申出により、一〇万円を出資し、上告人は、訴外会社より譲渡を受け、以後個人営業をなしてきたことにより、新たに購入をした在庫商品、設備什器、個人で取得していた訴外持分等を、現物出資をなした。田邉謙二は、浜田との対抗上、名義を借りただけで謙二は出資をしておらず、田邉謙二も芦屋寶盛館の営業を出資したとする原審の判断は、営業譲渡がなされ、それ以後上告人が「芦屋寶盛館」を営業してきたことを無視したものである。

上告人は、上野修名義で土地を購入し、その土地と上告人が民法上の組合契約をなす前から所有していた訴外持分二五口を現物出資して、被上告人会社を設立しているが、この点についても、原審は被上告人会社の出資持分の実質的帰属者が上告人であるか否かを判断するために極めて重要な土地取得が誰の出損でなされているのか、上告人が民法上の組合契約をなす以前から所有していた訴外持分の所有者が誰であったのかの判断をしておらず判決に重大な影響のある事実につき判断を脱漏している。

このような誤った事実認定をもとに上告人、謙二、上野の三名が有していた出資持分は、単に名義だけのものではなく、実質的なものであったとみとめるのが相当である(一四丁表)と結論づけており、原判決は取消しを免れえないものである。

二、原判決は、以下の点において理由に不備ないし齟齬があるといわねばならない。

(1) 原判決は、「謙二持分一〇〇口は、昭和五五年一二月三〇日(原判決の事実誤認である。乙第四号証によると昭和五四年一二月三〇日からということになる。)から昭和五六年七月二一日にかけて、友子、抜井正博、和田濱(当時抜井姓)悦子、抜井康樹に対し、それぞれ二五口ずつ贈与されたものであり、その当時、右贈与について社員総会の承認があった事実を認めることのできる証拠はないが、右認定の事実に照らしてみれば、第一審原告は、謙二の友子らに対する持分贈与を承認していたものと推定され、結局、右贈与は、第一審被告の会社社員全員の承認があり、有効なものと認めるのが相当である。」と判示している(原判決一六丁一行ないし九行目)。

有限会社法第一九条二項は、社員が非社員に対して出資持分を譲渡する場合には、社員総会の承認を要すると規定され、同条三項では、譲渡人は会社に対して譲渡の相手方及び譲渡口数を記載した書面をもって承認請求をすることを要すると規定されており、平成二年改正前には、譲受人からの譲渡承認請求の規定(同条五項)はなかった。

本件で問題となっている出資持分の譲渡は平成二年の改正前であるから謙二の持分の譲渡については、謙二からの書面による譲渡承認請求とそれを請けた社員総会の承認が法律上要求されているが、本件においては、謙二からの書面による譲渡請求はなく、原判決はこの点について判断すらしていない(平成二年の改正前は譲受人からの譲渡承認請求は認められていなかったから、譲受人からの請求ではなく譲渡人から書面による譲渡承認請求が必要である)。しかも、原判決自体が社員総会の承認があった事実を認める証拠はないとしているのであるから、譲渡人からの書面による譲渡承認も社員総会の承認もない本件譲渡は法律上も認められるものではなく、原判決は法令に違反した判断をなしている。

原判決はこのように法令に違反した判断をしており、取消は免れない。

(2)①.謙二の持分譲渡の社員総会の承認がないので、謙二は、死亡の時まで、有限会社芦屋宝盛館の社員であり、同人死亡により、其の持分には、相続による包括承継が生じたものと解しなければならない。従って、謙二の死亡により、有限会社芦屋宝盛館の社員と其の持分は、上告人田邉繁一五〇口、被上告人抜井茂夫一〇〇口、抜井友子五〇口、合計三〇〇口となる。

然るに、鳩公認会計士が作成した昭和五九年二月二三日の社員総会の議事録には出席社員と其の持分は、上告人田邉繁一〇〇口、被上告人抜井茂夫一〇〇口、抜井友子を二五口と記載してある。しかし、前記法定相続の持分数とも異なる右書面は鳩公認会計士が出席社員の持分数を確認もせずに作成したもので無意味かつ上告人の意志を推認する証拠足りえないものである。

原審は、この法律関係の変動については、全く理解を示していないとしか考えられない。

②.原審は、生前贈与の効力のみを問題とし、その効力発生の根拠を謙二の死後における社員総会の追認に求めている。譲渡人が生存している場合はともかく、死亡していて譲渡の相手方や、譲渡口数について確たる証拠もない場合においては、前記法文の趣旨からして追認そのものも許されないと言わなければならない。よって追認が許されると考える原判決には、理由の不備ないし齟齬があると言わなければならない。

(3) 更に、原判決が前記のように「第一審原告は、謙二の友子らに対する持分贈与を承認していたものと推認」しているのは法令(経験法則)に反し、明らかに判決に影響を及ぼすというべきである。

昭和五八年一二月一八日、抜井友子が上告人に対し、謙二の出資持分を贈与されている旨申告した時も、上告人は法律上認められないと告げ(一審第一三回上告人本人調書二三項、同一四回二丁以下、友子の第一一回一一丁裏)、翌一二月一九日には鳩会計事務所に抗議するなど一貫して否認しており、昭和五九年二月一六日の遺産分割協議においても友子の「三年内贈与七三四、四六〇円」の部分に反発し、右部分を削除した確認書(乙第一一号証の四)が作成された経過からも(一審上告人第一四回一二丁以下、同一六回八丁、田邉千代子第二七回五七項ないし六九項)、上告人が生前贈与を一貫して承認していなかったこと証拠上明らかといわねばならない。

ところが、原判決は、証拠とできないものを証拠とし、また経験法則に明らかに反するやりかたで事実認定している違法がある。

原判決「同日午後、同社員総会第二号議案として「第一審被告抜井はその出資口数のうち七五口を友子に贈与すること及びその結果社員の出資口数の内訳けが第一審被告抜井一二五口、友子一〇〇口、抜井正博、和田濱悦子、抜井康樹確二五口となった。」旨を確認する旨の、第一審被告抜井、友子、抜井正博、和田濱悦子及び抜井康樹連名の書面による決議書(乙九)が作成されたこと」を認定して、上告人が謙二の友子らに対する持分贈与を承認していたとする。

しかし、右書面による決議書なるものは被上告会社の取締役である上告人が全く関与しないところでなされたものであり、このような証拠を採用して上告人の持分贈与の承認を推認するのは全くおかしいことである。また昭和五九年二月二三日午前中の社員総会で友子が二五口として社資格を持ち争われることがなかったというが、右社員総会については、鳩が社員資格や持分、上告人の意思を確認することなくいきなり書類の作成にかかり、上告人が腹だちまぎれによく確認せずに署名したものである。このようなものを証拠として採用することはそれまでの上告人の生前贈与を否定する態度からこれだけが突出したものというべきであり、証拠の採用について経験則に反するものである。

三、原判決は、次の部分について弁論主義に違反しており、判決に影響を及ぼすと明らかな法令(経験則)違反があるといわざるを得ない。

(1) 原判決は「第一審被告抜井を取締役及び代表取締役に選任する旨の書面による社員総会決議がなされたこと」(原判決二〇丁表七行目)と認定するが、右は明らかに法令に違反し、判決に影響を及ぼす違法なものである。

すなわち、書面による社員総会の決議がなされたとするためには総社員の同意が必要であることは有限会社法に規定するところである(有限会社法第四二条)。ところで社員総会議事録(乙第一五号証)には、社員である謙二、上野修の同意がないことは証拠上明らかであり、書面による決議を適用すべき場合でないことは明らかで、原判決は法令の適用を誤っているとしか考えられない。

(2) 原判決は、「第一審原告は、昭和三二年三月一七日、訴外会社の代表取締役に就任し、かつ、第一審被告が第一審被告会社の取締役及び代表取締役に就任した際、第一審被告会社の代表取締役のみを辞任したことが推認される」と認定している。(原判決二〇丁裏三行目〜六行目)。

しかしながら、被上告人抜井は、右昭和三二年三月一七日に直接本件に関与した当事者であるところ、上告人が被上告人会社の代表取締役を自ら辞任したことがないことについては、これを自認している。すなわち被上告人は、「上告人は辞任届は出していない」と明確に証言しており(一審第一八回抜井茂夫調書56問)、これは上告人の主張や供述(一審第一三回上告人本人20問)とも合致するものであり、上告人が代表取締役を自ら辞任したものでないことは誰が考えても確定した事実関係であるといわねばならない。

ところが、原判決は、乙第一八号証という当事者以外のしかも現実に関与したこともない第三者の供述書だけを取り上げて、「辞任した」と推認している。当事者が口をそろえて「辞任していない」といっているのに、第三者の供述書より辞任したと推認するのは、我々の健全な経験則に違反するものといわなければならない。

尚、登記簿の「代表取締役のみ辞任する」という登記は、辞任届けなしには登記できないものであり、これがなされていることは被上告人において上告人の辞任届出を偽造したものとしか考えられない。

(3) ひるがえっていえば、被上告人は、上告人が自ら辞任をした(すなわち辞任届をした)との主張は本件裁判においてしていないのである。

すなわち、被上告人の主張は、社員総会において被上告人会社取締役である抜井茂夫と上告人のうち抜井茂夫が代表取締役に選任されたことにより、有限会社法上の取締役の権限に関する理論により、当然に、上告人は、代表取締役を辞任したことになるということである。被上告人は、結局「自ら辞任するのではなく、法理論上退社となる」ということを「辞任したものになる」という言い方をしているのである。注意深く被上告人の主張を読めば、被上告人の主張する「辞任」とは、すべて退任になるという意味で使われている。すなわち、被上告人らは、上告人が被上告人会社の代表取締役を自ら辞任した旨の主張はしていないし、勿論、それに添う供述もしていないのである。

ところで、原判決は、事実摘示をするについて、第一審判決が事実整理をした「九第二事件の抗弁、1. 昭和三二年三月一七日、被告会社社員総会において、抜井茂夫が同社代表取締役に選任され、原告は同社代表取締役を辞任した」(一審判決一一丁最終行〜一二丁二行目)をそのまま引用し、これを第一の抗弁として事実摘示し、理由中において、この抗弁を認めているのである。

しかし、これは、明らかに弁論主義に違反するものといわなければならない。すなわち、原判決は、当事者の主張しない事実を判決の基礎とし、これを認定している(しかも経験則に反して)のであって、明らかに判決に影響を及ぼす法令違反があるといわねばならない。

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